松本とし子

まつもと 敏こ
日本共産党平塚市議会議員
活動ファイル

加藤桝治さんからのエッセイが届きました。

2016年7月4日

「望郷の鐘―満蒙開拓団の落日」を観て

加藤 桝治

 6月25日に「平塚9条の会」の総会があり、総会後、映画の上映がありました。映画は、『山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日』(監督・山田火砂子、主演・内藤剛)というものでした。主人公の山本慈昭は、長野県・現在の阿智村にある長岳寺の住職であり、小学校の先生でした。

満蒙開拓移民(満蒙開拓団)は、満州事変(1932年)以降、太平洋戦争敗戦までの期間に、日本政府の国策で旧満州(現中国東北部)に入植した日本人移民の総称です。 

映画の紹介パンフレットの中に、『東京新聞』の社説「語らねば、伝えねば」(2014・8・25)がありました。映画の内容も詳しく書かれていますのでその一部を載せさせてもらいます。

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  1932年、現中国東北部に日本のかいらい国家、満州国が建国されたのち、貧困にあえぐ農村救済のためなどと、移民は国策で満州に送り込まれました。

 『20町歩の大地主になれる』と入植をすすめられた農家も多く、その総数は27万人に達しました。しかし、終戦直前に突然、ソ連軍が侵攻、関東軍には置き去りにされた。逃避行の途中で、その半数以上が集団自決や病死、行方不明という惨禍に。離散した家族の子どもらは中国人に託され、残留孤児、夫人になったのです。

 戦争とは、人と人が殺しあうことです。領土や宗教、民族、資源などその理由は様々でも、「国を守る」ため、国家や権力者が敵をつくる。だが、実際に戦場に行かされ、血を流すのは普通の人々、弱い立場の人々です。(中略)

命の教訓を時代につぐ方法は、語りや文章に限りません。映画監督の山田火砂子さん(82歳)は、年内の公開に向けて作品〔望郷の鐘―満蒙開拓団の落日〕を製作しています。東京大空襲で命拾いした経験を持つ山田さんは、「戦争のひどさを伝えていくのが私たち世代の務め」と云います。 

 戦後、「残留孤児の父」と慕われた阿智村の住職、故山本慈昭さんが主人公です。地元開拓団の教員に請われて心ならずも渡ったが自身はシベリアに抑留され、妻子とは生き別れてしまいます。72年の日中国交正常化の翌年に慈昭さんは独力で「日中友好手をつなぐ会」を設立。その活動は全国に広がりました。

 仲間らと中国に残された孤児の帰国支援や肉親捜しに奔走。独りで4万通を超える文通や交流も重ねました。死んだとされていた長女との対面も果たし、90年に88歳で亡くなるまで心は日中を行き来していました。これら民間の活動が無ければ、国の償いも支援も、さらに遅れていたでしょう。(略)

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 「国家や権力者の都合で、最後に犠牲になるのは誰なのか」。「安倍政権の集団的自衛権の閣議決定は、憲法の論議も、国民も置き去りでした」。と述べ、さらに「社説」は、沖縄のひめゆり学徒隊の証言者も、広島の被爆者も少なくなり、ほとんどの人が話したがらなかったが、危うい空気を感じて、凄惨な過去を振り返り始め、それに学び、行動しないことには、無関心や傍観者だった、あの時代と重なってしまうと自覚した表れだというのです。

 私は、昨年末から、身体の調子を悪くして、この選挙に充分活動できずイライラしていましたが、ある平和団体から8月に「平和のつどい」を計画しており、「戦争体験を話してほしい」と要請がありました。私の戦争体験も多くの人に聞いてもらおうと思い、一日も早く身体を回復させて、戦争を語り、9条を守るため力を尽そうと決意しています。

写真は昨年9月5日に平塚駅北口で行われた「アベ政治を許さない」抗議行動。

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(2016年7月号)


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