松本とし子

まつもと 敏こ
日本共産党平塚市議会議員
活動ファイル

もやもや感が残った番組

2011年8月25日

110825-1

今日夜7時半からNHKで「日本新生 どう選ぶ?私たちのエネルギー」というスペシャル番組があったので見ました。

資源が無い日本で、私たちは必要な電力をどう確保していくのか。3・11の未曾有の大災害、福島原発事故に遭遇し、これからの日本のエネルギーをどう考えていったらいいのかという大きな岐路に立たされている、という出だしで始まりました。

3・11でこのようなとんでもない原発事故が起き、放射能がまき散らされ、あらゆる生物も空気も土壌も海も川も森も食糧も「安全」が危うくされてしまいました。この、取り返しのつかない大被害をもたらしたことがきっかけで、「安全神話」の呪縛から抜けたからこそ、テレビでも大きな声で言えるようになった「原発」の恐ろしさ。

これまで原子力推進勢力に牛耳られ、国を上げて原子力エネルギーを推し進め、自然エネルギーは不安定で電力としての供給を満たせないものであると言われてきました。

「外国ではあんなに風力に力を入れているけど、採算はどうなんだろう?」という淡い疑問も、「電力としてはあてにならない」という報道に吹き飛ばされて、テレビに映る風車を漠然と眺めたものでした。

今になって明らかにされた事実。電力会社に自然エネルギーの買い取り枠を小規模に押さえられ、自然エネルギー企業は自ら売電することすら法律で禁止されてきたこと。多くの新聞社・テレビ局など報道機関は、「原子力推進派」に呑まれ、否定的な報道はできない仕組みにされ正しい報道がされてこなかったこと。

 東京電力は、3年も前から10メートル以上の津波が来ることを予測していたにもかかわらず、何の手だても講じてこなかったこと。いざ、メルトダウンを起こしたら、それを封じ込む何の方策も持たなかったこと・・・。

一番肝に銘じなくてはならないことは、原子力は効率的にエネルギーを作り出すが、今回のような事故が起きたら手の打ちようがない未完成の技術であること。そして、放射能汚染は人体にもあらゆる生物にも、自然界にも将来にわたって悪影響を与え続けるものだということではないでしょうか。

チェルノブイリ事故が起こった時、日本国中が放射能汚染に対し「恐い!とんでもないことが起こった。ソ連はなんてことをしてくれたんだ!」という思いに震撼させられたことを思い出します。その頃子供と一緒に見に行った「風が吹くとき」という映画。「スノーマン」を書いたレイモンド・ブリッグズのほのぼのとしたアニメでありながら、放射能の恐ろしさ、政治に操られる人間の愚かさ・・諸々を感じた恐い映画でした。

それに匹敵する事故が、遠い海の向こうではなく日本で起きたというのに、結局私達はあの絵本の中の(悲しくも愚かな)老夫婦とどれだけの違いがあるだろうか・・と思うのです。

番組では、「自分で使うエネルギーを選択できる仕組み作り」を進めることで、消費者・国民自らエネルギーに責任を持つことが必要ではないかというものでした。

ここで私の中に、「え・・?」という「もやもや感」が現れました。「選択」はいいけれど、「原子力」も当然選択肢にあるわけで、「私は風力発電を選んだから安心だわ」ではないということです。

福島第一原発の事故で、福島に住めなくなった人が関東に引っ越しを余儀なくされました。福島では「東北電力」を使用していたのに、「東京電力」の事故で住めない土地にされ、これだけの被害を被ったのに、関東に来て東京電力にお金を払うなんて「こんな悔しい思いはない」という言葉を聞きました。その思いがいかばかりか・・と胸が苦しくなりました。

それと同じで、自分では自然エネルギーを選択しても、原発が存在する限り事故が起こったら被害は全域に広がるのです。「自分の選択」と「安全」は「=」ではないということをどう整理するのか。どうしても「もやもや」が消えない番組でした。


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