松本とし子

まつもと 敏こ
日本共産党平塚市議会議員
活動ファイル

松川事件に学ぶ「国家権力」

2013年11月1日

加藤桝治さんから11月のエッセーが届きました。

日常生活で忘れかけている事件の背景に潜む「権力」が、今の社会にも脈々と生き続けていることをヒシと感じるこのごろです。どうぞ、ご一読ください。

松川事件無罪確定50周年集会に参加して

                                                              加藤 桝治

10月12日~13日に福島大学で開催された「松川事件無罪確定50周年記念集会」に国民救援会の人たち49人とバスで参加しました。

 松川事件とは、今から64年前の1949年(昭和24年)8月17日未明、国鉄東北本線上り普通列車が脱線転覆、3人の乗務員が死亡するという重大事故が発生しました。この事件の前に、下山国鉄総裁の轢死事件、三鷹駅の電車暴走事件があり、時の官房長官は、これら一連の事件が共産党員によって仕組まれたのだと声明、マスコミはこれを大いに宣伝しました。

捜査当局は、事件の容疑者を国鉄労働組合と、東芝松川工場の労働者と断定し、それぞれ10人ずつ計20人を逮捕・起訴し、1・2審とも死刑・無期懲役を含む有罪判決が出されました。「無実の者を殺すな」と国民的運動が展開され、5回の裁判を経て、14年かけて1963年(昭和38年)9月13日に最高裁で無罪を勝ち取ったのです。

闘いを通じて明らかになったことは、松川事件は、占領軍と政府が関与した謀略的犯罪事件で、勝利に導いた力は、被告と家族、弁護団、救援会、支援団体、労働組合などの参加で国民的運動に広がったからです。とりわけ、広津和郎さんや松本清張さん等をはじめとする文学者、学者たちが、世論に訴え、理解と支援を広げていったこと、そして、全国各地に「松川を守る会」などが組織されたことです。平塚でも国民救援会を組織して活動しました。

「記念集会」は、裁判に加わった弁護士の講演、元被告の挨拶、「松川運動」についてのシンポジウムが行われました。

私は、事件発生50周年集会と、60周年集会と今回で3回の参加になりますが、毎回、驚くことはその参加者の多さです。若い人の参加も目立ちました。参加者の願いは、後を絶たぬ冤罪や、人権と民主主義に対する攻撃に打ち勝つために、松川運動の経験を学び、いまの闘いに生かそうということです。

 私には、松川事件に大きな思いがあります。事件が発生した時、私は、日本鋼管鶴見製鉄所で働いていました。職場では、共産党は絶大な信頼を得ていました。この年の1月の総選挙で神奈川では3人全員が当選しました。その年の8月に松川事件が発生し、共産党員の仕業と宣伝されたのです。

私たちと組合員とを引きはがす攻撃が加えられてきました。翌年、私たちは、「破壊者」の汚名を着せられて、一方的に解雇されたのです。いわゆるレッド・パージです。松川事件は、無罪を勝ち取りましたが、汚名を着せられた私たちには、政府も会社もいまだに謝罪していません。私たちは、名誉を回復するため多くの人と共に闘いを進めていきます。(2013年11月号)

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