松本とし子

まつもと 敏こ
日本共産党平塚市議会議員
議会の取り組み

福島県南相馬市・相馬市を視察(1)

2013年11月2日

大地震と未曾有の津波、その上原発事故による放射能被害という大災害に見舞われた福島県。放射能汚染によって住んでいた土地に近寄ることもできない人々の苦悩。事故を起こした福島第一原発では、放射能汚染水の流出が拡大し続ける中、修復作業にあたる現場の労働者は相次ぐ被曝で、放射能に対する専門の知識のない作業員が駆り出されているといいます。

「絶対に起こらない」といっていたことが起こった今、横須賀にある原子力空母(米軍は一切明らかにしていませんが、福島第一原発1号炉の46万キロワットに匹敵するといわれています)の事故も起こり得る。そこから30㌔圏内にある平塚にとって、決して無縁の問題ではありません。

私たち議員団は福島に行って、防災の観点、とりわけ弱者と言われる方への対応について伺い、教訓にしたいと思い視察を計画しました。

南相馬市へ

28日、福島駅から南相馬市に行くには立ち入り禁止区域があるために川俣町、飯館村から入り、一時間半かかりました。

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飯館村は「居住制限区域」、日中は入ってもいいが住むことが禁じられています。そのために、立派な家が並んでいるのに誰も住んでいなく、これまで肥沃な農地や田んぼだった土地が荒れ放題になっている現場が延々と続きました。

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山は紅葉が始まり、行楽シーズンになろうというのに、愛でる人もいません。帰れない人々の口惜しさ、無念さに胸が苦しくなりました。

南相馬にある道の駅で地元共産党の渡部寛一市議と待ち合わせをし、市役所へ。
南相馬市議会事務局の佐藤さんに議事を進行していただき、復興企画部危機管理課主査の方、健康福祉部健康づくり課の保健師さん、社会福祉課障がい福祉係の係長さんから細部にわたり説明をいただきました。

2011年3月11日の時点での住民基本台帳人口は71,561人。しかし、今年の9月26日現在、市内居住者は46,686人、市外避難者15,204人、転出者6,938人、所在不明者2,733人(死者も含む)ということでした。しかし、介護サービスが必要な人は、居住地が基本となるため移転手続きをするが、住民票を移さずに移転している場合もあり、家もないことから正確に居住人口は把握できないのが実態とのこと。転出者は全国に散らばり、今年の9月現在でも42都道府県に住み、当時多くの住民が移った自治体には市職員や看護師を送ったと言います。

被害状況は、死者1,072人、負傷者59人、津波と地震による全壊・半壊・一部損壊等による被害は4,437世帯。3月11日、14時46分に震度6弱の地震。その後津波は15時35分頃到着。地震がおさまり、一旦家の様子を見に行った人が津波にのまれたケースも多かったといいます。

翌12日の朝5時44分、福島第一原発から半径10㌔圏内の住民に避難指示が・・。次には20㌔圏内も・・。しかし、何処までが10㌔か20㌔かもわからない中、このことを知ったのはラジオでの放送だったと言います。国からも県からも全く連絡はなく、庁内は騒然とする。これまで「原発事故は起こらない」とされ、その為の防災計画は必要ないといわれ、作ってこなかったといいます。

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(ピンクの色が津波被害地、小高区の10㌔線、鹿島と原町区の間には20㌔の線引きが・・。)

30㌔圏内は屋内退避となったが、放射能汚染の実態が明らかになるにつれ、業者は市内に入って来なくなり、ガソリンは尽きてくる、2~3日分しか市内に食糧がないという状況になる、メールや、原発で働く従業員の家族からの非常事態の話が伝わってくる、そのうち自衛隊の姿が見えないという話が飛び込む、マスコミも逃げていなくなる・・・。情報が錯綜するなか、3月15日に小高区、原町区の南部の一部を避難させることに決めたと言います。しかし、この前もこの先も、国や東電から「避難指示」は一度もないと言います。

放射能に対する知識も薄く、長期になるとは考えておらず「とりあえずのものを持って」とバスに乗せて、受け入れ先の連絡をとりながら、近隣では相馬市、伊達市、宮城県、新潟県、長野県へ・・。市を出た段階と、避難自治体に入る前との2回のスクリーニングを経て、受け入れ先へと避難させたとのこと。

このニュースを見た新潟県泉田知事が、南相馬市に電話をかけてきて「南相馬市民全員を新潟で受け入れる。必要ならこちらからバスを出す。」と言って次々とバスが到着したというのです。中越地区の集中豪雨の時の恩返しにと準備して下さったと言います。

●避難計画をつくっていなかったことが、結果として地域のコミュニティがバラバラになってしまった。

●要援護者のリストを作成中に被害にあい、対応が充分できなかった。

●避難所生活が困難な精神障がい者達の多くは、自宅に残った。しかし、20㌔圏内の病院は避難してしまい、従来受けていた精神科通院医療が受けられず悪化することのないよう、治療状況を把握し、未治療者への継続治療の支援に動いたと言います。

また、こうした避難所生活が続く中、教育委員会では早期に学校を再開しなくてはと尽力したと言います。4月22日から次々と無事だった小中学校や体育館等の施設を使って、授業が再開されました。こうした状況下でも、子どもたちの身心と学力を最優先に考えて取り組む教師たちの思いに心打たれました。

南相馬市は今も、10㌔圏内、20㌔圏内、30㌔圏内とに分かれているために、道一つ隔てても補助金額が違い、土地を離れて生活する人、同じ条件でも残っている人、家の場所と損壊の状況それぞれが違うなど不公平さが現れています。そして、7万人全員を移すことが出来ずに現在があるが、それが正しいかどうかすら分からない・・・と。しかし、「残っているからには全力を尽くすしかない」と決意を語られました。

同席した地元の渡部市議は、今回の教訓として

●緊急時には、平等・公平性にこだわっていてはダメ。これにこだわるばかりに、結局何もできない現実がある。優先順位をつけて早急に取り組むこと。

●市民を1人でも多く助けるためには、市職員を1人たりとも犠牲にしてはならない。市職員を大切にすること。

この2点を強調されました。


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