松本とし子

まつもと 敏こ
日本共産党平塚市議会議員
活動ファイル

戦後七〇年に想う(加藤桝治氏より)

2015年2月12日

これまでにも何度か加藤桝治さんのエッセーを掲載させていただきました。加藤さんは市内ご在住で、平塚で日本共産党の市議会議員として1963年に初当選した飯尾常男氏とともに活動してきました。平塚市の民主的な活動の生き字引きでもあります。

戦後70年となる今年、加藤氏の思いを寄せていただきました。

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加藤 桝治

 今年は、太平洋戦争が終結してから七〇年になります。日本を戦争する国にしようとする動きの中で、「戦争」を語り継ぎ平和を守ろうとする草の根の運動が広まっています。

平塚の新日本婦人の会・花水班で、『戦争の記憶をつたえたい』という小冊子を発行しました。政府が憲法9条を踏みにじって「日本を戦争する国」にしようとする動きに黙っていられず、戦争がどんなに「日常の家庭生活を破壊して行くか」を自分たちの記憶や体験で伝えようとまとめたと云います。

 書いた人は、終戦時赤ちゃんから二四歳までの9人の女性たちです。

 東京・平塚・横浜・釜石などの空襲で、火の中を逃げた話がつづきます。目の前で腕を失い、亡くなった人をみたこと、アメリカの飛行機からの機銃掃射で麦畑に飛び込んで助かった話、防空壕から逃げたから助かったと言われたこと、戦死の公報が来る前に、息子の幻の姿を見たという母の話、二年生から五年生の子どもが長野県のお寺に疎開して、皆で助け合うことが一番大事なことを体で覚えたが、「東京に帰る日、迎えに来る親がいない兄弟二人の姿が悲しかった」。に胸をうたれます。 

戦争そのものの記憶のない人も、共通して語っていることは、食糧の乏しい中で守り育ててくれた母親への想いが痛いほど感じます。そして、「戦争は絶対に反対だ」という叫びです。

先日、以前年金者組合の本部で活動していたMさんにお会いしました。健康を害していたと聞いていたのですが、元気な笑顔を見て安心しました。「元気の秘訣は子どもたちにあるんですよ」といって次のように語ってくれました。

地元の小学校で「戦争体験を話してくれる人」探していたので応募したところ、Mさんが話すことになったそうです。四年生から六年生まで、学年別に二時間づつ話したそうです。

終戦時Mさんは十八歳で兵隊にはいきませんが、東京の下町の工場に通っていて、空襲に何回もあっているので、空襲のときの話、戦争中の食べ物や暮らしのこと、また、妹さんが、学童疎開したのでその時の話をしたそうです。どの学年も、みんな熱心に聞いてくれて感想文で「はじめて聞いた」「戦争はしないでほしい」「戦争はいやだ」などが書かれていたそうです。戦争体験を子どもたちに引き継ぐ喜びにMさんは「子どもたちに元気をもらいました」これからも続けていきたいと語っていました。

先日、俳優の仲代達矢さん(一九三二年・昭和七年生れ)『しんぶん赤旗』紙上で次のように語っていました。

「僕らは戦争体験を語れる最後の世代です。残された時間は、そう長くはないから語っておきたい。どんなことがあっても戦争だけはやっちゃいけない。〝国を守る〟という言葉をよく聞きますが、ぞっとするね。国を守る、大東亜共栄圏をつくるといって戦争を始めたんじゃなかったのか、近頃とくに、そう思います」。

(二〇一五年・二月号)


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